地方分権時代における市議会と市議会議員のあり方

市議会議員の使命と言論の保障の必要性について

I have a dream

              
須坂市議会議員 佐 藤 壽三郎
 

 地方分権時代における、地方議員や首長の議場での発言の保障についても、憲法51条の国会議員の免責特権を、地方議会議員や首長にも保障を与える時代と心得ます。


 憲法が定める免責特権の趣旨は、議員の院内における発言の自由を保障し、もって議院の自律性を確保しようとするものであります。即ち、議員の言論に対して、一般国民なら負うべき民・刑事上の法的責任等の院外の責任を免除することにより、議員の自由な言論生活を保障し、もって議院の自律性を確保しようとすることにあると解されております。


 判例は免責特権の範囲について、「国会では行政、司法等に対する徹底的な批判がおこなわれなければならず、そのため往々にして個人の名誉、社会の治安を害することがありうるのであり、通常の場合には尊重さるべき個人、社会等の反対利益も譲歩を余儀なくされざるをえないのであって、もしこれにかかずらわっているときは言論を萎縮させ、また場合によってはこれを抑圧することになりかねないのである。」としています。【東京地判37.1.22・第一次国会乱闘事件】


 ここで注意しなければならないのは、前掲の判例は昭和37年に下された判決であることであります。平成12年4月1日に地方分権一括法が施行されて、国家と地方公共団体はかっての上下・主従の関係から、対等・協力関係となり、統治体系が一変したことを勘案すると、東京地判37.1.22・第一次国会乱闘事件の判決の精神を、地方議会にも拡大されるべきものと思います。


 主権者たる市民(国民)は、国家から地方公共団体への権限の委譲がなされた事実を理解され、地方議会においても行政等に対する徹底的な批判がおこなわれなければならない時代である認識が必要であり、このことは取りも直さずこれからの地方議会において、往々にして個人の名誉や社会の治安を害することもありうるので、議員の議場における演説、討論または表決についての発言の自由を保障し、このことによって、市民の一番身近にある地方議会の自律性をも、確保せねばならない時代が到来したものと私は思います。


 住民と一番近い関係にある、地方議会議員の自由な言論生活の保障を確保することこそが、我が国の民主主義制度の保障につながるものであります。このことは民衆の権利獲得の歴史は、常に地方のそれも少数意見から湧き上がった事実を知るべきであり、日本国の更なる民主主義を守るためには、地方議会議員の更なる民主主義を守る番兵の意識を負わせることが必要であり、子孫のために民主主義制度の堅持を図るためにも、世界に先駆けて日本が、地方議会議員の発言の保障について、法律に明文化すべきであると考えます。


 このことこそが、日本国憲法で保障される市民(国民)の侵すことの出来ない権利を守る手立てに通じると、固く信じるものであります。これが私の「I have a dream」です。


                         参考文献:デバイス憲法(103頁〜)早稲田経営出版



 ※この稿は、月報58号(平成15年・8月号)にて、地方議員の免責を唱えたものに、改めて意を整えて加筆したものです。

 当時は地方議員で誰も私に賛同する者はありませんでした。寧ろ議会の議事運営上における品格を問う程度のものであり、憲法が掲げる「議員の免責特権」の趣旨の重要性を、殆んど理解していないと思われる議員の集りが地方議会でした。

 最近漸く地方議員の方の一部に、「地方議会を言論の自由の府」としての自覚をする議員が出てきていることは嬉しく思います。「地方議員立候補資格試験」が施行されない以上、「憲法?そんなの関係ない!」と逆切れする議員が未だ大多数であることが実情です。